■山口由莉子ちゃんの場合        album.gif (3626 バイト)

 山口さんとは、朝日新聞の記事がきっかけで知り合うことになりました。由莉子ちゃんの療育の関係から鹿児島から福岡へ引っ越されるなど、いろいろ大変でしたが、落ち着かれたようです。とりあえず、いただいた第一報を元に紹介します。由莉子ちゃんのケースは、発症前の様子や発症後のリハビリの話など、楓子と共通点が多くて考えさせられます。


→患者
→患者の家族
→発症前の様子
→発症の経緯
→医療機関との協力
→現在の状況
→アドバイス
→写真館 

【患者】

山口由莉子(やまぐち ゆりこ) 1993.8.13 女子
1994年発症(1歳7ヶ月) MLD幼児型

【患者の家族】

父、母、小学生の兄2人

【発症前の様子】

 赤ちゃんの頃から発育は順調で、あまり病気をしない元気な女の子でした。歩き始めは1歳4ヶ月で少し遅く、あまり長く歩こうとしない子でベビーカーやダッコが多かったようです。でも、外で遊ぶのが大好きで、天気のよい日は近くの公園で砂遊びから始まってブランコ、滑り台と遊んでいました。
 言葉覚えはとても早く、私たちの言うことを正確にとらえ、おしゃべりしていました。物覚えもよい方で、教えたことはすぐ吸収する方でしたが、自分からおしゃべりをする方ではなく、問いかければ答えるとか、私たちの言う言葉をまねるというようなことが、年齢を重ねるうちに徐々にわからないような感じで進んでいたのでしょう。
 歩行は去年(97年)の今頃はかろうじて歩いていましたが、もうこの頃は足が突っ張ってヨタヨタした歩き方になっていました。

【発症の経緯】

 2歳過ぎても敏捷にはならず、ゆっくりでした。病院にも連れていったのですが「異常なし」ということで「運動神経が鈍いのかな」と簡単に考えていました。昨年(97年)1月に市立病院に行ったときもMRICT、血液検査をしたのですが、異常がなく、現在の医学の検査ではわからないところの神経の一部の伝達機能が働いていないのでしょうと言われました。その後急速に運動障害が進み、検査の結果8月に病名を告げられました。

【医療機関との協力】

 病名不明の段階で、国立病院で機能回復のためのボイタ法を行うことになり、3ヶ月間母子入院しました。そのときはそのときでショックでしたが、時間がたつにつれて頑張れば頑張るほどよくなるんだと思い、いっしょうけんめいやりました。訓練するうちにますます歩けなくなりましたが、それも正しい歩行を身につけるためのステップだと言われ、3ヶ月間過ごしました。しかし、退院して1ヶ月もたつと、自分で起きあがることさえできなくなっていたのです。

【現在の状況】

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※このWebサイトはあくまで患者の家族が個人的に作成したものです。医学情報の扱いにはご注意ください。
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