■高橋楓子の場合   album.gif (3626 バイト)

 


→患者
→患者の家族
→発症前の様子:運動面
→発症前の様子:精神面
→発症の経緯
→医療機関との協力
→現在の病状
→療育と日常
→写真館

【患者】

高橋楓子(たかはし ふうこ) 1994.9.11生まれ 女児
1996年発症 MLD(異染性白質変性症)幼児型

【患者の家族】

 父(洋)61年生まれ。フリーランスのライター。専門分野はコンピュータと海外旅行。母(敦子)63年生まれ。主婦。長女が楓子。次女、桃子(とうこ)97年生まれ。検査の結果、父、母、そして次女がMLDの保因者であることがわかっています。次女は長女の発症時に既に妊娠中で、診断の確定は出産後でした。

【発症前の様子:身体・運動面】

 楓子は生後すぐ母乳をよく吐く傾向があったので、入院中に診断を受けていますが、特に問題は発見されませんでした。その後は病気らしい病気もせず、言語の発達にしても運動能力にしても順調でした。特に言語能力に関しては平均よりかなり早くから発達していました。
 初めての子供だったので比較の対象がないわけですが、親としては「うちの子は少し変わっている」という感覚はありました。いまにして思えば、ということもありますが、たとえば運動能力に関しては、発達に関しては普通なのですが、トライ&エラーのような無駄な動きをあまりせず、身体が勝手に動いてしまうとか、同じ行動をおもしろがって繰り返す、といったことがあまりなかったと思います。一歳そこそこで積み木を何段も積み重ねるといった高度なことができたのに、その後はさらに難しいことへと発展していかない、といった感じで、運動能力が統合的に伸びていない、という感じもありました。ただ、全般的に発育が遅れているかというと、年相応のことがフッとできてしまったりするので、そうともいえない、という感じでした。
 身体的に目立ったのは、乳児の頃から、睡眠時に背中が反る、ということです。また、抱き上げると下肢に緊張が走ってつっぱるという傾向がありました。乳児の頃から「高い高い」をすると足先までピンと伸びて、ウルトラマンの飛行姿勢のようになるのです。緊張状態では身体が棒のようになるので、7ヶ月の頃には壁にもたれさせると立つことができました。お座りがようやくできたころのことですから、今にしてみれば中枢神経の異常による反射の昂進の予兆があったのかもしれません。

【発症前の様子:精神面】

 語彙が非常に豊富で、一歳半で名前、住所、電話番号が言えるなど、言語能力は同年代の子供に比べてむしろ進んでいました。しかし、やや偏りがあったかもしれません。絵本一冊まるまる暗記といったことが2歳前後でできたのに、たとえば「いってらっしゃい」といった、相手と自分の関係性の中で反射的に出てくるような言葉が出てこない、というところが不思議でした。たとえば、しかられた時も、「そんなことしちゃだめでしょ、ごめんなさい、もうしません、ね」のように、相手と自分の関係性の中に混乱が常にありました。また、何につけ「好きか嫌いか」といった判断が苦手だったと思います。これは好き嫌いがない、というのとはちょっと違います。「何が食べたい」とか「リンゴとミカンとどっちが好き」という質問にとまどうようなところがあったということです。「ふうちゃん、ミカン食べる」という意志表示はできました。つまり、オウム返しの傾向がありました。なにかにつけ直接的に「イヤ」ということも(態度で示すことはあっても)言葉ではほとんど表現しませんでした。

 情緒面は、わりと早くから気づいていたのは「怖い」という感情がないことです。知能障害が明らかになる前の2歳までの間でも、ともかく敬遠したい物(たとえば見知らぬおじさん)はあっても、怖いものがなかったです。たとえば、真っ暗闇、高いところ、犬、大きな音、まったく平気です。押入に入れられて戸を閉められるのが好きだったほど。唯一の例外が、テレビのニャンチューというキャラクターでした。また、「怒る」ということもあまりなかったです。もちろん、不快ということはありますが、けっこう我慢して、我慢できなければ泣いてしまう、という感じで、「怒る」という感情のもつ攻撃性はまったくなかったです。「びっくりする」ということもあまりなかった。また、声を出して笑うということがあまりありませんでした。かといって感情が平板かというとそうではなく、おだてれば得意になるし、駄洒落を言って大人を笑わせるといった面もあり、全体的に見れば精神的な発達はむしろ平均より進んでいたと思います。結局、精神面の傾向については、すべて発達段階での個性の範囲だったかもしれません。

【発症の経緯】

 どうもおかしいと感じたのは歩き始めて数ヶ月でした。歩行の開始自体は1歳2ヶ月で特に遅くはなかったのですが、その後いっこうに歩き方がうまくならず、いつまでたってもよちよちという感じなのです。そしてよく転ぶ。本来なら、日毎驚くべき速さで上達する時期ですから、これが不思議でした。ただ実際には、結構歩けたな、と思う日もあれば、そうでない日もある、というように波もあり、発育に異常があるかどうかは、判断しにくい状況でした。妻が第2子の悪阻に悩まされていたこともあって、やっぱりおかしいという確証をもって病院に行ったのは2歳の誕生日の少し前でした。結局、この時期を境に、運動能力(歩行)は退行の一歩をたどりました。2歳4ヶ月の時点では立つのもちょっと怪しくなり、また、この時期を境に知能の退行が突然、そして急速に始まりました。病気の進行という点で気になったのは、病気による発熱のあと、急に歩行能力が落ちるということです。1歳半で突発性発疹を経験しましたが、その際に症状自体は普通よりも軽かった(2日で熱が治まる)にもかかわらず、回復後立ち上がろうとするとまさに「腰が抜けた」という感じで転んでしまい、本人もわけがわからず、立ち上がろうとしては転んで泣く、ということがありました。その後また、徐々に歩行能力は回復したのですが、2歳半で風邪で比較的高熱が出た際にも似たような情況でした。もともと病気をしない健康で丈夫な子で、病気らしい病気をしたのがこの2回くらいだったのでそれほど気にしていなかったのですが、今にしてみれば、発熱がきっかけとなって症状が急速に進んだものと思われます。

 2歳の時点で通院を始めましたが、この時期は脳性麻痺なのか、なんらかの脳の病気なのか、判断がつかないまま、とりあえず、という形でリハビリを週一回で受けていました。最初の時点では体幹を安定させて、上肢が自由に動くようにすることに重点を置いていましたが、次第に下肢、特にくるぶしが曲がりにくくなってきたため、この高緊張状態が続くことで下肢が変形していくことを予防する動きに焦点を移しました。実際、徐々に尖足内反足の傾向が明らかになってきました。これらのリハビリは、ある程度効果があったように見えました。しかし、2歳4ヶ月くらいから退行が激しくなり、先週のリハビリでできたことが今週はできない、ということが続きました。たまたま、この時期が次女の出産とぶつかったため、いわゆる赤ちゃん帰りと区別がつかなかったこと、ちょうどPT(理学療法士)の交代時期に重なったことで病状の変化への対応がやや遅れたことが悔やまれます。2歳7ヶ月の時点ではさすがにそれまで問題ないと思っていた知能の退行が明確になり、検査入院の結果、MLDという診断がでました。

【医療機関との協力】

 2歳の誕生日の少し前に、かかりつけの小児科医(河田町クリニック)に相談に行きました。このとき、東京女子医大学の大沢教授を紹介されました。大沢教授は小児神経症の専門家だし、東京女子医大はうちから歩いて15分なので、これは自然な選択でした。ただ、大沢教授は多忙なため、一ヶ月以上先まで外来の予約が取れず、とりあえず娘を出産した国際医療センターで受診することにしました。第2子もここで出産する予定でもあり、楓子自身も既に小児科の検診を受けているからです。ここの太田先生の所見は、MRI脳波、染色体に特に明確な異常は認められない、現時点で疾患を特定するのは不可能ということでした。結局、東京女子医大での診察結果もほぼ同じ内容になりました。しかし、単に歩けないというだけでなく、足に痙性麻痺が認められ、また本来消失しているはずのバビンスキー反射などもあるため、なんらかの異常があるのはまちがいない、という診断です。この時点では、MRIで確認できないタイプの脳性麻痺という可能性と、代謝異常などの疾患という可能性の2つが示されました。ただ、楓子は出産時に代謝異常のスクリーニングは既に受けており、また、このときの追加の検査でも代謝異常は認められなかったため、その後しばらく、われわれは脳性麻痺という前提で、療育を続けることになり、具体的には週1回のリハビリテーションに通うことにしました。

 しかし、前述の通り2歳半を過ぎるころから急激に病状が悪化し、97年の5月に急遽検査入院することになりました。10日間の入院中にすべての検査の結果が出たわけではないのですが、ほぼMLDであろうという診断を受けました。この時点で、骨髄移植の可能性を考慮して両親と患者本人のHLA適合検査も受けています。

 現在は2週間から1ヶ月に一度のペースで通院とリハビリを受けています。当初は筋弛緩剤としてテルネリンを使っていましたが、ほとんど何の効果もみられなかったので数ヶ月でやめ、現在は抗痙攣剤のテグレトールを1日250mg服用しています。これは発作を未然に防ぐのが目的です。この他、ビタミン剤としてユベラメチコバールを服用しています。また、緊張が強く、眠れないときのために座薬のダイアップとセニランを出してもらっていて、3〜4日おきのペースで使っています。

 なお、慈恵会医大の衛藤先生のDNA診断によって、問題の遺伝子1組のうち、一つは日本人のMLD患者に最も多いとされる445Aの変異であり、もう片一方はそれ以外(調査中)であることが判明しています。また、白血球ASA活性は12.6です。

【現在の病状】

 2歳8ヶ月くらいまでは自力で寝返りを打ち、手をついて腹這いになることが可能でしたが、3歳前後で、腹筋を使って身体を左右に振るのが精一杯になりました。3歳9ヶ月の現在は、ほとんど新生児同様の運動レベルで、首を左右に振るのがせいいっぱいです。下肢にはほとんどの時間強いつっぱりがあり、上肢もそれに連動しています。夜間はまとめて睡眠をとれる日もありますが、眠りが浅くなる3時間おきに泣き出す日も多いです。この夜中に緊張が起きて、まとまった睡眠をとれない、というのが、現在われわれの抱えている最大の問題で、4日おきにダイアップ、セニランを交互に使用して、定期的に熟睡できる日を確保しているのが現状です。ただし、ダイアップ、セニランを使っても、寝付きは改善されず、また、どちらの薬もしだいに慣れてしまい、使い始めたときに比べて、しだいに効き目の表れるタイミングが遅くなりつつあるのが気がかりです。

 健康面でのもうひとつの問題は、球麻痺のために嚥下が難しくなっているということです。2歳6ヶ月を過ぎた頃から急速に症状が進み、まず口の動きが悪くなってこぼすようになり、次に液体を飲むとむせるようになりました(この傾向は昔からあった)。数ヶ月はトロミをつけるだけでなんとかなりましたが、ほぼ全ての食事をゼリー状に調理するなど、試行錯誤の毎日です。特に、麻痺が表れ始めたころは、舌の動きが本人の意思に反してしまい、反射で舌が食べ物を押し出してしまったり、首を前後左右に激しく振ってしまうなど、食事はまさに格闘でした。麻痺がさらに進んだ現在は、そういう反射的な抵抗が少なくなったものの、むせる度合いが高くなり、それをきっかけにして、せっかく苦労して食べたものを吐いてしまうこともしばしばです。そのため、3歳8ヶ月の現在、経口ネラトン法という、口からチューブを飲み込んで水分や栄養分を取り込む方法を練習中で、これと口からの食事を併用していこうとしています。

 両親の存在は把握しているのは確かですが、知的レベルを推測するのは非常に困難です。3歳くらいまでは、お気に入りのディズニーキャラクターの人形を見ると大笑いしていましたが、現在は好きな歌を歌ったり、お話を読み聞かせたりすると、たまに声を出して笑う程度です。人影を目で追うなど、見えているのは間違いないですが、視神経の萎縮が進み、視力が落ちてきているようです。聴力の方は異常がないようです。緊張が強いときも、言葉をかけるとことでややリラックスできるときもあります。また、突然新聞をガサガサいわせたり、パソコンのキーボードをカチャカチャいわせたりすると、うれしい気分になったりします(←なぜだ?)。

【療育と日常】

 MLDの症状が急速に進み始めるまでは、障害児としての将来についていろいろ考えていましたが、2歳半からの半年間の変化は急激で、1年先のことはまるで考えられないという情況です。この半年間は退行が進む前になるべく楽しい経験をさせてやりたいという方針で、あえて遊園地などに外出を何度もしました。3歳を過ぎた今、症状の進行がやや緩やかになったと考えられること、本人の外界への興味がかなり限定されてしまったことで、これからどうするかをあらためて考え直しているところです。

 日常的には週一回のペースで新宿の障害児福祉施設「あゆみの家」の訪問サービスを受けています。通園しないのは、次女が幼児であるため、母親の付き添いが難しいからです。最初はリハビリに近い内容でしたが、今は本人になにかをさせるというより、いろいろ新しい経験をさせて楽しませてくれる、という形になっています。同じような境遇の子供に慣れている人たちによる、このサービスは精神的にも非常に助かっており、学ぶ点も多いです。他の患者の家族のみなさんと知り合えたのも、このサービスがきっかけでした。

  診断が下ってすぐ障害者手帳取得の手続きを行い(四肢体幹機能障害、1級)、室内用の座位保持椅子と外出用のバギー(車椅子扱い)を作りました。楓子の場合、特定の安楽なポジションというのはなく、常に姿勢を変えたがるので、体型に合わせてフォーミングしたこの椅子も実はあまり具合がよくありません。特に困っているのは、頭部を前面に倒す運動が頻繁にあることで、これを固定するうまい方法がありません。バギーにも共通することですが、枕の部分をすっぽり頭を受け止めるような形にしても、いったん前屈して左右にずらすような動きをするのであまり意味がないのです。そんなこともあって、椅子に座ることを嫌がるようになり、半年ほどで使わなくなってしまったのですが、なぜか1ヶ月ほど前(3歳6ヶ月)からまた座れるようになり、最近は椅子に座ったまま昼寝をすることもあるほどです。身体の緊張に変化がでてきたということでしょうか。

 下肢の緊張のためだと思いますが、腰を曲げている姿勢の方が楽なようなので、日中は布団の上に寝かせ、足の下にクッションを入れて持ち上げる形にしています。睡眠時も基本的にこのスタイルです。でも、なんといっても本人が一番喜ぶのは、誰かに両腕でだっこしてもらうことです。

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